はじめまして、にどねです。

このブログを見つけてくれて、ありがとうございます。
僕は今26歳。
2026年3月、FXで1億円を達成しました。
これだけ見るとなんかすごい人に見えますけど
実際はそんなことありません。
高校時代からコミュ障で
大学はうつ病で中退。
その後ニートとして生活してました。
そんな僕がどうやってここまでたどり着くことができたのか。
その経歴をまとめていきます。
絶望の高校時代
普通の人は社会人として働き
自分の趣味を楽しみ、恋人を作り生活してます。
対して、僕はFXトレーダーとしての生活。
今振り返ると、僕の人生が周りと同じレールの上を
うまく歩けなくなったのは、高校の頃からだったと思います。
きっかけは、高校入学。
地元では自称進学校のそこそこ名の知れた学校。
親も期待してくれていたと思います。
でも、入学してすぐに気づきました。
教室という空間そのものが、僕にとっては地獄だったということに。
コミュ障。
今なら笑って言えますが、
当時の僕にとっては笑いごとじゃありませんでした。
クラスメイトと何を話せばいいのか分からない。
輪に入るタイミングが掴めない。
気づけば、友達と呼べる存在は一人もいませんでした。
学校に行く理由は、部活だけ。
授業を受けている間、僕の心はいつもどこか別の場所にありました。

「なんのために勉強してるんだろう」
「なんのためにこの学校にいるんだろう」
そんな問いに答えを出せないまま、時間だけが過ぎていきました。
せっかく進学校に入ったのに、得たものは何もない。
そう思うと、今でも少し虚しい気持ちになります。
そして、極めつけは受験期でした。
もともとプレッシャーに弱かった僕は、
センター試験が近づくにつれて夜眠れなくなり、
気づけば不眠症を発症していました。
頭が回らない。
体が動かない。
何も手につかない。
そんな状態のまま本番の日を迎えることができず、
結局、試験当日を休むことになりました。
これが、僕の「受験」の結末です。
それでも、親は「大学には行ってほしい」
という願いを捨てませんでした。
僕自身も、このまま何もしないまま終わるのは嫌だ
という気持ちだけはあって、
河合塾の予備校
たしか大阪の上本町校に通うことにしました。
でも、モチベーションなんてものは、
そう簡単に湧いてくるものではありません。

せっかく払ってもらったお金を無駄にしたくない
ただそれだけを支えに、僕は予備校の椅子に座り続けていました。
大学でうつ病に、そして中退
なんとか予備校を乗り越え、
僕は立命館大学に進学しました。

キャンパスは滋賀県。
実家を離れ、一人暮らしを始めることになりました。
初めての土地、初めての一人暮らし。
あの日感じたワクワクは、今でも覚えています。

ここからは、新しい自分になれるかもしれない
そんな淡い期待を、僕は確かに抱いていました。
でも、そう甘くはありませんでした。
コミュ障は、場所を変えたくらいで消えてくれるものではなかったんです。
隣の席の人と、当たり障りのない会話をすることはできる。
でも、それ以上には進めない。
「友達」と呼べる関係には、どうしてもなれませんでした。
バイト先でも同じです。
顔見知り以上、友達未満。
そんな薄い関係だけが、僕の周りに積み重なっていきました。
そして、授業にもついていけなくなっていきます。
分からないところを教えてくれる友達もいない。
先生に質問しに行く勇気もない。
「みんなが当たり前にできていることが、自分にはできない」
その事実が、少しずつ僕を追い詰めていきました。
気づけば、大学に行けなくなっていました。
そこからは、坂道を転がり落ちるようでした。
買い物に行く気力すらなくなり、
食事を摂らなくなる。
カーテンを閉め切った部屋で、
一日中ベッドに横たわる。
大好きだったゲームすら、
手に取ることができなくなりました。
理由もわからないまま、突然涙がこぼれる。
そんな自分に、僕自身が一番戸惑っていました。
そんなある日、たまたま親が一人暮らしの部屋を訪ねてきました。
散らかった部屋と、変わり果てた僕の様子を見て
親は静かにこう言いました。

うつ病じゃない?
精神科に行くことすら、
当時の僕にとっては途方もなく大きなハードルでした。
それでも、半ば無理やり連れて行かれるようにして、
病院の扉をくぐりました。
2〜3回の通院を経て、診断が下ります。
うつ病でした。
自分の状態に「名前」がついたことで、
少しだけ肩の荷が下りたような気がしました。
でも同時に、「じゃあ、これから何をすればいいんだろう」という問いには、
何の答えも見つかりませんでした。
調べる気力すら、僕には残っていなかったのです。

実家に帰ってきなさい
親のその一言に従い、
僕は最低限の荷物だけをまとめ、
逃げるように実家へ戻りました。
もう、大学に通える状態ではありませんでした。
親に手続きを手伝ってもらい、僕は静かに大学を去ることになります。
21歳。大学中退。
ただの「高卒ニート」の誕生です。
親のすねをかじるだけのニート時代
実家に戻ってから、半年から1年ほど
記憶がほとんどありません。
出されたご飯を食べて、寝る。
また食べて、また寝る。
ただそれだけの毎日でした。
こう書くと、「働かなくていいなんて羨ましい」
と思う人もいるかもしれません。
それでいいんです。
この辛さは、きっと分からない方が幸せです。
好きだった音楽を聴く気力もない。
好きだったゲームに触れる気力もない。
家から出るどころか、布団から這い出ることすら、僕にはできませんでした。
頭では「このままじゃダメだ」と分かっている。
でも、体が、心が、言うことを聞いてくれない。
この感覚は、うつ病を経験した人にしか
きっと伝わらないと思います。
そんな日々を過ごしていたある時
診断を受けてから、ちょうど1年ほど経った頃だったと思います。
ふと、「うつ病の改善には太陽の光を浴びるといい」という話を知りました。
正直、藁にもすがる思いでした。
動かない体を、無理やり引きずるようにして玄関の外へ。
最初は、たった5分だけ日の光を浴びる。
それだけで精一杯でした。
しばらくして、少しだけ勇気を出し、家の周りを5分だけ歩いてみることにしました。
次の日は10分。
またしばらくして15分。
亀の歩みのような、本当に小さな一歩でした。
それでも、その小さな一歩を積み重ねていくうちに
僕の中の何かが、少しずつ、確かに変わっていったのです。
FXとの出会い
うつ病の症状が少しずつ和らいでいく中で
今度は別の悩みが僕の心に重くのしかかってきました。
それが「高卒」。
大学を中退した事実は消えません。
それに加えて、僕には他にもハンデがありました。
プレッシャーに極端に弱いこと。
そして、根本的なコミュ障。

こんな人間が、社会でまともにやっていけるはずがない
そう思うと、絶望的な気持ちになりました。
実際、うつ病の既往歴があって、しかも高卒。
そんな人間を積極的に雇いたいと思う会社なんて、
そうそうあるはずがありません。
かといって、このまま一生ニートを続けるわけにもいかない。
親のすねをかじり続けることに、罪悪感がなかったと言えば嘘になります。

こんな僕でも、稼げる方法はないんかな?
そんなことを考えて、いろいろ調べてたある日
1つの動画に出会いました。
それが、ましろさんという方のFXトレードの動画。
このタイトルを見た瞬間
僕の心は一気に高鳴りました。
「これだ」と、直感的に思ったんです。
今冷静に振り返れば、見事にサムネイルとタイトルに釣られた
典型的な情報弱者そのものだったと思います。
それでも、あの瞬間の僕にとっては、それが唯一の光に見えました。

僕には、FXトレーダーしかない
一人で完結できる。
人と関わらなくていい。
家から出なくていい。
それでいて、大きく稼げる可能性がある。
しかも、少額から始められる。
コミュ障で、うつ病で、高卒で、社会不適合者
そんな僕にとって、これほど条件が噛み合う職業は他にないと、僕は確信しました。
初心者トレーダー時代
FXトレーダーになると決めてから、僕がまずやったことは、
ましろさんの動画をひたすら見まくることでした。
トレードの手法。
チャートの見方。
相場に対する考え方。

分からないなりに、何度も何度も繰り返し再生しました。
これくらいなら、うつ病を抱えていた僕にもできました。
人と話す必要もない。
外に出る必要もない。
ただ画面の前に座って、知識を吸収するだけ。
それが、当時の僕にとってちょうどいいリハビリのようなものだったのかもしれません。
体調がさらに上向き、椅子に2時間ほど座っていられるようになった頃、
デモ口座を開設しました。
操作に慣れることから始め、
実際のチャートを眺めては、値動きのパターンを目で追う日々。
これが、ちょうど22歳になった頃のことです。
体が少しずつ動くようになってくると、
皮肉なことに、今度は「年齢」というものを強く意識するようになりました。
同級生たちは、とっくに社会に出て働いている。
一人前の大人として、それぞれの場所で頑張っているはずです。
それに対して、自分はまだ家の中でニート生活を続けている。
そのギャップに、じわじわと焦りを感じ始めていました。
「勉強はしてきた」という中途半端な自信と
「早く結果を出さなきゃ」という焦り。
この二つが混ざり合った勢いで、
ついにリアルトレードに足を踏み入れることにしました。
結果は・・・。
言わなくても分かりますよね。
惨敗でした。
大学に通っていた頃、必死に貯めたバイト代。
その中から用意した、僕にとって決して安くはない1万円が、あっという間に消えていきました。


画面に表示された数字を見つめながら、僕は思いました。

このままじゃ、ダメだ
その日を境に、僕は本格的にトレードの勉強へと舵を切ることになります。
ブレイクスルー
ニートである僕には、時間だけは有り余るほどありました。
だったらそれを使うしかない。
そう腹を括り、毎日ひたすらチャートと向き合う生活が始まりました。
動画で新しい知識を仕入れる。
新しい手法を試してみる。
デモトレードで検証を繰り返す。
この繰り返しを、来る日も来る日も続けました。
高校時代も、予備校時代も、
一度たりともこんなに何かに没頭したことはありませんでした。
今振り返れば、正直、狂気の沙汰だったと思います。
でも、当時の僕には他に選択肢がなかったんです。
うつ病。
大学中退。
コミュ障。
ニート。
そんな肩書きの人間に残された道は、
もうFXしかないと思い込んでいました。

これに失敗したら、僕の人生は本当に終わる
そのくらいの覚悟で、僕は毎日チャートに向かっていました。
とはいえ、そう簡単に結果は出てくれません。
新しい知識を入れても、うまくいかない。
新しい手法を試しても、うまくいかない。

本当に自分は成長しているんだろうか
そんな疑念に押しつぶされ、途中で何度も絶望しかけました。
そんな時、僕はある選択を迫られます。
トレード練習用のソフトを導入するかどうか、という決断でした。
当時の僕の手元にあったのは、わずかな貯金。
おそらく10万円もなかったと思います。
バイトして新たな資金を確保できるわけでもないし
お金があるならリアルトレードの資金に回したい。
そんな中で、2〜3万円もする練習ソフトに手を出すことに、
僕はどうしても踏み切れませんでした
それでも、あまりにも自分の成長が感じられない日々が続き
ついに思い切って購入することを決めます。
正直、最初は半信半疑でした。
「こんなもの、本当に意味があるのか」
「無駄な買い物だったんじゃないか」
と。
でも、その疑念は完全に間違っていました。
練習を重ねれば重ねるほど
目に見えて成果が出るようになったんです。
勝率が上がる。
負けを受け入れられるようになる。
手法そのものの精度が上がっていく。
これは、止まったチャートを眺めるだけの勉強や
限られた回数のデモトレードでは、
絶対に得ることのできなかった感覚でした。
圧倒的な「経験の量」だけが与えてくれる、確かな手応え。
「この手法なら、いける」
「今のメンタルの状態なら、通用する」
そう心の底から思えるようになった僕は、
約1年の練習を終え、
リアルトレードの世界へと戻ることを決意しました。
高卒ニートから億トレーダーへ進化
どれだけ練習を重ねたとしても、
本番の相場でどうなるかは、実際にやってみるまで分かりません。
だから僕は、慎重に始めました。
残っていた数万円を一気に注ぎ込むのではなく、
1万円ずつに分割してスタートすることにしたんです。
さらに、自分に厳しいルールを課しました。
手法通りのポイントであっても、
少しでも「負けそうな要素」を感じたら、そのトレードは見送る。
徹底したスルー戦略です。
なぜなら、負けトレードでメンタルが揺さぶられると、
また新しい手法を探し始めたり、意味のない検証地獄にハマってしまうことが、
経験上目に見えていたからです。
そうして始めたリアルトレード。
最初の4回は、なんと連勝することができました。

本当にいけるかもしれない
そう思い始めた矢先、5回目のトレードで初めての負けを経験します。
それでも、リスクリワードの良いトレードを4回積み重ねた上でのたった1回の負け。
トータルで見れば、資金は着実に伸びていました。
「自分の手法は、使えるんだ」
「自分のトレード技術は、相場で通用する」
「お金が増えて、ひと安心できる」
初めて心の底から、トレードに対する自信を持てた瞬間でした。
それからは、感情に振り回されることなく、
淡々と手法通りにトレードを積み重ねていく日々が続きました。
これが、23歳の頃の話です。
そこから、3年。
現在26歳。
2026年3月、僕はただの高卒ニートから、億トレーダーへと進化しました。
トレードしてるときは、終わりの見えない
無限に続くような時間だと感じていました。
でも今こうして振り返ってみると、あっという間の出来事だったように思います。
情報発信を始めた理由
さて、僕の恥ずかしい過去を
包み隠さず公開したわけですけど
読んでくれた方の中には、こう思う人もいるかもしれません。

お金あるのに、わざわざ情報発信なんてめんどくさいことするんだ?

どうせ、情報商材でも売りつけるつもりなんでしょ?
こう疑うのも当然です。
情報発信なんて、めんどう以外の何物でもありません。
しかもFXの世界には、かつての僕のような情報弱者から
金を巻き上げようとする悪質な業者が、山ほど存在しています。
だから、疑ってかかるくらいがちょうどいい。
それくらい僕自身、この業界を冷めた目で見ています。
それでも、僕が情報発信をしようと決めた理由は、2つあります。
①世界との関わりを持ちたい
トレーダーという職業の魅力は、
人にも、時間にも、場所にも縛られないことです。
僕がトレードを選んだ理由も、まさにそこにありました。
でも、その裏を返せば
「世界との繋がりが、一切なくなる」ということでもあるんです。
お金がなかった頃は、それでよかった。
「稼ぐこと」に必死で、他のことを考える余裕なんてなかったから。
でも、おかげさまでお金に余裕が生まれてくると、
不思議なことに、また別の欲求が顔を出してくるんです。
人によっては、「世界を旅したい」かもしれません。
「お金を使って、女の子にちやほやされたい」かもしれません。
「大きな家を建てたい」と思う人もいるでしょう。
僕の場合、それが「世界と関わりを持ちたい」でした。
学生の頃は、コミュ障ゆえに
「誰とも関わりたくない」と本気で思っていたのに、
今ではその気持ちがまるっきり逆転している。
人間って、本当に不思議なものですね。
とはいえ、いきなり深い関わりを持つのは、僕にとってハードルが高すぎます。
直接誰かを指導したり、コミュニティを運営したりするのは
正直、僕には向いていません。
だから、FXの情報を知りたい人、困っている人が、
自分のペースで情報を仕入れ、自分の力で成長していける。
そんな場所として、ブログとSNSという形を選びました。
②自分のような境遇の人の助けになりたい
学歴がなくて、まともな会社に就職できないかもしれない人。
精神的な病気を抱えていて、普通の人と同じようには生きられない人。
お金がなくて、自己投資すらままならない人。
僕は、そういう人たちの助けになりたいと思っています。
ただ、同時にこうも思うんです。
「本当の弱者は、助けたくなるような形をしていない」と。
他責思考。
偏見。
理由のない敵視。
実際、僕自身も初心者トレーダーだった頃、こう思っていました。

トレーダーとして稼げてるくせに、なんでわざわざ手法を売って金を集めてるんだ。意味わからん。どうせ詐欺だろ
こういう「当たり屋」のような人に絡まれると、
正直、情報発信なんて続けられません。
僕のメンタルは、うつ病になるくらいには脆いものですから。
だからこそ、僕はこう考えることにしました。
「人は1人で勝手に助からないといけない」。
そのための情報は、すべて無料で出そうと。
これ別に、有料で情報を発信している人たちを
非難するつもりは一切ありません。
日本は資本主義です。
お金がある人が、さらに有利になっていくゲーム。
それを恨んだところで、何も変わりません。
サッカー選手が「ボールを手で運んで、ゴールに入れたい」なんて、
ルール自体を変えようとは思わないですよね。
ただ、それだけだと、かつての僕のような人間には、一生救いが訪れません。
学歴もない。
精神的な病を抱えている。
お金もない。
そんな「社会の落ちこぼれ」であっても、
救いの手が届いていいはずだと、僕は思うんです。
だから、僕はFXの情報発信を始めることにしました。
/
最後に
この記事では、僕の過去と、
なぜ情報発信を始めようと思ったのかを
包み隠さず公開してきました。
正直に言うと、こういう自分語りは
僕の性分にまったく合っていません。
インターネットの中で、誰とも深く関わらずに引きこもって生きてきた人間ですから。
できることなら、こんな記事は書きたくなかった。
それでも、これがないと、誰にも信用してもらえないと思ったんです。
だから、この1記事だけは、覚悟を決めて書くことにしました。
本当は、コミュ障とか、ニートとか、大学中退とか
そういう過去はすべて隠して、「僕は億トレーダーです」とだけ、ドン!と格好つけて出せたら、きっとその方がかっこよかったんだと思います。
でも、逆に思うんです。
泥臭く、みっともなく、遠回りしながらここまで来たからこそ、
語れることがあるんじゃないかと。
きれいな成功譚には出せない、生々しいリアリティ。
それが、今この記事を読んでくれているあなたにとって、
何か一つでも役に立つものになるなら、それでいいと思っています。
更新はマイペースになると思います。
それでも、FXをする上で本当に役に立つ情報を、これからも発信し続けていくつもりです。
この記事を読んでくれたあなたのトレード技術の上達、
そして何より、あなたの人生が少しでも好転するきっかけになれたら
これほど嬉しいことはありません。
ではでは、この辺で。



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